はじめに
Temperature Reaches New Heights in Arctic Russian Town
A Siberian town with the world's largest temperature range has recorded a new high. On June 20, Verkhoyansk reached 38 degrees Celsius, according to weather website Pogoda i Klimat.
Verkhoyansk is located around 10 kilometers north of the Arctic Circle in the Sakha Republic, 4,660 kilometers northeast of Moscow.
今年はシベリアの多くの場所で気温が異常に高く、山火事を引き起こしている。 ロシア当局によると、サハ共和国では2,750平方キロメートル以上が燃えている。
人口1,300人のベルホヤンスクは、ギネス世界記録に認定されているその気温差で知られており、最低は氷点下68度、これまでの最高は37.2度であった。 だが、6月中旬の平均最高気温は約20度だ。
科学者たちは、北極圏が世界の他の場所の2倍の速さで温暖化しており、気候変動の影響をさらに高めていると述べている。 記録を塗り替えるこの高温はさらに、世界野生生物基金がロシア史上2番目に大きい燃料流出と呼ぶものを引き起こした。
ロシア北部の発電所のタンクは、それが建てられた永久凍土が溶け始めたため、ディーゼル燃料の流出を起こした。 2万メトリックトンを超えるディーゼルが近くの湖や川に流出し、北極海に到達する恐れがある。
ビートルズとソ連
といえば、やはりこの曲「
The Beatles - Back In The U.S.S.R. (2018 Mix / Lyric Video)
一説によると、「ビートルズがソ連を崩壊させた」といっても過言ではありません。
ビートルズは数千万人という、ソ連の若者の意識を変えた。「自分たちは、とんでもない国に住んでいる。今とは違う生き方を見付けなくてはいけない」と、気づかせたのだ。
ビートルズによって全てが変わりました。暗い部屋の重い扉が開いたのです。悪の帝国を崩壊させることが出来たのは、全てビートルズのお陰です。共産主義を滅ぼし、ソ連を変えたのはゴルバチョフではありません、ビートルズですよ。彼らがきっかけとなって西側の文化が流入し、文化の革命が起こったことでソ連が崩壊したのです。鉄のカーテンに最初の風穴を開けたのはビートルズの歌です。
ビートルズは、大衆そのものを脅かす危険なブルジョアと見なされていました。ビートルズの自由な精神はソ連の国内に新しい風を吹き込みました。とてつもない影響力を持っていたのです。私はビートルズの音楽を聴き、心が救われました。国家に縛られずに済んだのです。
冷戦時代、ビートルズの演奏は、許されませんでした。当局がビートルズの影響を恐れて、抑圧したのです。西側の核ミサイルの驚異や、反共プロパガンダより、遙かに大きな影響をクレムリンに与えました。ビートルズというウィルスに感染した人々が、ビートルズをまねたコピーバンドを次々に作り出しました。
ソ連が崩壊する前は、常に恐怖を抱えて生きていました。体制の締め付けは本当に凄まじいものでした。当局の徹底的な弾圧で、私達は好きな音楽を聴くことも出来ませんでした。人前で少しでもビートルズの事を、褒めたりしたら逮捕されていたでしょう。
当局は、西側文化の汚染源としてビートルズのレコードの国内持込を禁止しました。自警団が通りをパトロールして、ロックンローラーを摘発します。髪の毛を長く伸ばしている若者は、短く剃り落とされました。空港ではレコードが違法に持ち込まれないよう警察が目を光らせていました。手荷物からビートルズのレコードを見付けると、傷を付けてダメにしました。
そこでビートルズファンは、外国放送に周波数を合わせてビートルズの演奏を録音し、それを使用済みエックス線写真の、ペラペラのフィルムを使って海賊版コピーを作成しました。胸部の肋骨が写っているフィルムだったので、肋骨レコードと言っていました。当然売買は禁止されていましたが、ブラックマーケットが急成長して、そこの闇値では、1枚3ルーブル(約10円)でした。当局は、常に密告者を組織してレコードを売買した者を捕まえようとしており、見つかったら大学を退学させられました。
1961~1962年に掛けては、明るいニュースがありました。人類初の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンの誕生。ロマンに満ちたフィデル・カストロによる、キューバの共産主義革命が成功。カリスマ性のある指導者、ニキタ・フルシチョフが「20年以内に、アメリカを葬り去り、理想的な共産主義社会を確立する」と約束。我々ソ連の国民は、共産主義国家に誇りを持ち、気分を良くしていました。
しかし、1964年にフルシチョフが失脚してからは様相が一変しました。ブレジネフ等による集団指導体制で、長い停滞の時代が始まったのです。ビートルズの音楽がソ連に入ってきたのは、その頃でした。ビートルズが、ソ連であれほどの現象を巻き起こしたのには、理由がありました。時代にうまく合った音楽が、完璧なタイミングで入ってきたからです。
政府は国民が自由を手に入れることを恐れていました。私達はビートルズが鉄のカーテンに作った、秘密の風穴から息を吸っていました。ビートルズは、まるで宗教のようでした。暗くて退屈な生活に差し込んだ一筋の明かりでした。心の中で静かに起こった神聖な革命だったのです。
1980年代に入ると、停滞した政治は、都会に住み、将来を約束された高学歴の若者達さえも、一世代丸ごと共産主義の母国から引き離しました。彼らは共産主義者のふりをしながら別の人間になり、別のライフスタイルを求めていたのです。
1985年に大統領に就任した、ゴルバチョフは次のように言いました。「ビートルズは、ソ連の若い世代に祖国とは違う世界が有り、自由があることを教えた。その思いがペレストロイカ、そして外の世界との対話へと向かわせたのだ」と。
2003年5月24日、ポール・マッカートニーが赤の広場に来てライブ演奏を行いました。それはまるで大規模な宗教の式典のようでした。ビートルズが大国に革命をもたらしたのです。
すげー話ですね。。これが現実です。
おわりに
記事の中の「ベルホヤンスク」は、夏は暑く、冬は寒い地域のようです。
今年の日本も本当に暑くなりそうです。さらにマスクもつけてないといけません。今年は辛い夏になりそうですね。